西日本豪雨復興支援ボランティア

台風12号の影響で被災地入りが1日遅れ、2日間のみではありましたが、公益社団法人日本青年会議所北陸信越地区主催の西日本豪雨の復興支援ボランティアに射水青年会議所メンバー11名で行ってまいりました。地区からは市川会長はじめ、5名のメンバーが参加しておられました。

私は2011年の東日本大震災の時に射水JCに入会したのですが、そのときも復興支援のボランティアの要請がありました。そのとき、当時の執行部をはじめとする諸先輩方が震災から間もない時期に危険を顧みず、被災地に炊き出しに向かわれた姿を見て、いつか自分もそんな風に誰かのために損得抜きに行動できる人間になりたいと思っていました。なので、今回は絶対に行きたいと思っていました。

現地のボランティアセンターで受付を行ったあと、バスで広島県の竹原市という県中央部南側に位置する農村部のまちに移動しました。竹原市では豪雨の影響で河川は氾濫、道路や橋は崩落、山からは崖崩れが起こり、流れてきた土砂がふもとの家を飲み込み、市内では14軒が全壊、床上・床下浸水が約1000軒発生し、死者も4名出たとのことでした。

被災直後の竹原市の状況

地震被害についてはテレビや写真でよく見ていたのでその重大さは知っていましたが、豪雨被害がここまでひどいとは正直思っていませんでした。被災者の方にお話を聞いてみると、最初はただの大雨だと思って家にとどまっていたところ、そのうち停電が起こり、ゴゴゴォーという轟音とともに土砂や大木、車が流れされてきたとのことでした。このまま家にいるのは危険だと思い、田んぼのあぜ道を抜けて、命からがら避難したとのことでした。

大木が山から根っこごと流されてきていました

被害の大きさに立ち尽くすメンバー

私たち射水JCチームは2班に分かれて作業をしたのですが、私の班が担当したのは道をあけるために家の前に積み上げられた土砂をスコップで土嚢袋に入れて捨てに行くという作業でした。後で聞いてみると、魚副理事長らの班は家の中に入り込んできた土砂を外に搬出するという作業でした。その家の方は1階には住めないため、2階で生活をしているとのことでした。

正直な話、魚副理事長らの班の作業の方が明らかに優先度が高く、そちらに多くの人数をかけるべきだったように思いましたが、公平性の問題もあることから、その辺が配点する方の難しいところなのかもしれません。私たちのメンバーの一人が、そちらの班の被災者の老夫婦に「とにかく命が無事で良かったね」と声を掛けたらしいのですが、「生きてた方が良かったのかどうかね」などと力なく笑ったそうです。

その話を聞いて、災害は生命・財産だけでなく、残された人から希望すら奪うものだということを肌で感じ、東日本大震災でも多くの方が希望を失い、自ら命を絶たれたということを思い出しました。短い時間のなかで、私たちができた作業は微々たるものだと思いますが、こうやってボランティアで駆け付けたことで、全国の人が被災地を応援しているという気持ちを届けることができ、被災者の方に少しでも元気だったり、希望を与えることができたのであれば私たちが行った意味はあったのかなと思います。

広島カープの帽子を被って先頭で働く市川会長

竹原JCの三好理事長にも駆け付けていただきました!

そして、今回の被災地訪問で、今一度わがまちの防災・減災について考えなければならないと思いました。今、全国各地でいろんな災害が起こっていますが、どこか他人事で、自分のまちは大丈夫、自分はなんとかなるなんて全く何の根拠もない自信を持っているのが現状ではないでしょうか。わたしたちのまちは海が近く、河川も多いことから竹原市と同じように水害のリスクが高いまちです。ハザードマップの活用のほか、どこにどんなリスクがあるのか、災害が起こった場合どう対応するのかを考え、災害時に一番に行動することこそが、まちのリーダーを目指す私たちの使命だと思います。

今回の日程はなかなかのハードスケジュールではありましたが、それ以上に多くのものを得られた被災地訪問でありました。突然の声掛けにもかかわらず、喜んで参加してくれたメンバーには心から感謝していますし、こんな素敵なメンバーがいる射水JCを誇りに思います。また、激励の電話やメッセージをくださった皆様も本当にありがとうございました。

最後に、黒部JCの歴代理事長の三井陽一郎さんが作られたポスターを貼っておきます。射水JCの先輩方の姿が自分をこのボランティアに向かわせたように、私たちの今回の活動が次の誰かに繋がればいいな。

 

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